0822

厄介なことは、おとなとこどもの境界線が曖昧だから、いつのまにか決断を積み重ねてしまう。気づいた頃にはもう戻れない。将来性とか希望とかっていうのは、それだけ一瞬のもろいものなんだ。



慎ましく生きて年を取れば、神が生活にはいってくると思った。けど、違った。おれは責めない。俺がもし彼でも、俺を見放すだろう。

B専はなぜばかにされるのか?

B専とは、B級の異性を好むこと
あるいは、ぶさいくbusaiku、のBか。

でも、みんながみんな好みが一緒で、みんながみんなA級の異性を好むとしたら、その限られた異性を巡って争いが起きる。


みなの異性に対する美意識が全く一緒で好みが同じであるという極端な場合は、たったひとりの異性に、ホモなどセクシャルマイノリティを考慮に入れなければ、単純なはなし、全世界の半分の人間が群がるわけだ。

戦争がおきますね。これは。

だから、B専がいること、つまり異性に対する美意識が異なること、好みが別れること、これは人類の生存戦略であり、平和への希求の現れだ。



だから、B専を笑うな。

セミがないてるよ

理性っつー、じぶんを外からみる視点だとはよくいったもんで。

罪の意識を、西洋では神から、日本は世間体からの視線で持つ、らしい。

そのために、神や世間体が設定された。
自己を外部化して律するために。

けれど、
じぶんの顔をじぶんの眼で、直接みることなく死んでゆくんだ。

一度も。

せいぜい、鏡や写真の像としてみることくらい。

もし、じぶんが外からのじぶんをみることができたとしたら。

きっと

もっと、正しく、歩めるんじゃないか。
もっと生きやすいんじゃないか。


誤った道を選び後戻りできない未来で行き止まることなんてないんじゃないか。

そして、いまなにをすべきかもわかるんじゃないか。

その視線が手に入るなら、空をとぶ飛行機の模型をラジコンで巧みに綺麗にリモートコントロールし、操作するように、


じぶんのことも操れるんじゃないかな。


神の視座。


その神の視座にちかいのは、映画や本をみる観 客の注ぐ視線。

彼らは、そこに敵が隠れているからそっちにいくな!とか、いやいやそんなことしちゃあだめだよ!とか、その場を見通している限りにおいて、思う。


でも、ストーリーに観客も騙される。

予想外の展開や登場人物の行動に欺かれる。その裏切りがあってこそ、観客はその物語をおもしろい、と思う。

裏切りがなければ、学びも共感も興奮もなにも、あったもんじゃない。

裏切りをつくるのが脚本家。

観るものと、物語をつくるものとの、住み分けあって生まれる裏切り。

物語をつくる人間と、観る人間が一緒だったらどうなるか。


それが、ひとがいきる、ってことかなぁ。

そとからみると

ともだちの実家にとまったりして、

第三者の目で、外から家族ってものをみると、あーいいもんなんだなぁと思った。

だらだらできるし
なんでもそろってるし

快適だし
猫いるし。

近くすぎるとわからなくなるのかなぁー


ちなみに、
へいせいあんはすみかごえ。

ほっかいどぉー

いって参りました。


涼しかったし良かったです。
いろんなことがあったなーと思い返しながら。

最終日は観光しなかったけど、まぁ満足です。

美味しいものたべました。
サガリっつーハラミ、駒形屋刺身定食、炉端やき、ピーターパン、らーめん、エトセトラ。



ただ負けて終わっても、悔しかったけど、またがんばろう!ってゆーのが生まれて来なかった。。

もう引退かね、、、
その予兆な気がする

0803.

ひとには、周囲からかなり正当な評価が下される。



もちろん、実態と評価にズレが生じることはありうる。

周囲という点がポイント。世間といえば広すぎて誹謗中傷がかなり含まれるし、ごく親しい人だけでは偏執な好評価が得られやすい。

周囲とは広すぎず狭すぎない、その人物と適度な時間、距離感で交遊できる範囲内という意味だ。

その周囲に属する人による、さまざまな評価を統合し平均化すれば、その人物が浮かび上がるんじゃないかな。。

頑張っているひともみているし、言い訳ばかり逃げているひとのことも、よくみている。

やっぱり、本人が思い描くものだけがその人自身じゃなく、周囲が描くそのひともその人自身である。

どっちも現実。
だから、まぁ身を律する必要はあるし評価へのアンテナもせめてバリ2くらいは張っておくべきかもしれない。


話は代わり。


なぜ、この世には摩訶不思議な恋愛とよばれる、きわめて非効率的で、非理性的な営みや概念があるのか。

それは恋愛がなければ、本当に優秀な人間以外は遺伝子を残すことができないからじゃないか。


やはり、 周囲から優秀と評されるような人間は、優秀なわけである。ここでいう優秀とは足が早いとか、目がいいとか、スポーツができるなどの動物性、仕事ができる、頭がいい、器がデカイ、思いやりがある、努力、優しいとか、はなしがおもしろい、などさまざまな評価項目があるだろう。



恋愛というぼやっとした主観的なマスキング効果がなければ、優秀であるかどうかというドライな評価にによってのみ、この人との子供=遺伝子を残したい、あるいは残すべきだと思うから、優秀な人間だけがモテててゆく一方だ。遺伝子を残すことは優秀な人間の特権になる。


非モテ人間は遺伝子を、残せず淘汰されてゆく。


だが恋愛を採用しない種としての生存戦略のあり方は、多様性を確保するという点では劣る。


aが優秀であると評される環境では、bができなくてもaができる人間の遺伝子が次世代に残る。


ところが、環境が変わり、bができることが要されると人間は生存できなくなる。絶滅してしまう。

たとえば、aは、発汗能、毛細血管拡張能、水分の保持など、暑いことに耐える能力で、氷河期に突入して、毛や皮膚など寒いことに耐える能力、bを求められるようになるとき、などが当てはまる。

まぁ雑な例だが。

だから、恋愛によって優秀であるか否かを、マスキングすることでそれを解決しているのではないかな。

ちょっといいなとおもっただけで、それをきっかけにすべての点が良く見えるようになる。あばたもえくぼ、というような感じで。

恋愛がなければ、あばたはあばたであるということになる。

ちがうかなぁ。ひとつの仮説として。

0729

むむむむーな日。パートツー.

あしたはレギュラー決めを突然やることになった。えいめーかんペア以外はみんなひらいなペアにいどむみたい。お俺らのとこに試合からまだマシなんだけど。。

若干それを狙って挑戦権一回がいいなーとおもってたらほんとうなった。

ちょっと罪悪感。。

まぁ直接挑戦権一回にしろといったわけじゃないし。。

いきなり前日に言われても困るってのが感情論だよなー。ちょっと試合の整合性や妥当性は損なわれるよね。


レギュラーなら練習をふだんからしっかりやれってことなんだろうけど、まぁフェアではないね。

ひらいなには勝って欲しいなぁ。


t3に50000先輩からもらったらしいから、たりすりゃーいいんですかね?とかてきとーいったらまー逆撫でしたね。あれは。

冗談がつうじないってゆーか頭固いってゆーか短小ってゆーか。しょうもないひとだなー。

先輩への礼儀大切したいんだろうけどさー。
しょせんはじぶんが気に入られたいとかその程度のきがするんだけど。あの人の場合は。


どうやったらよかったんだろうね。起点からして外してるからもう遅いんだけど。。
立ち回り環境ではきをつけなきゃなー。か各人のた正確に把握してからじぶんの意見とかいわないと。思ったことととかいわないと。

ふんふん。